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2006.11.09

ロミオとジュリエットのもとネタ?

この映画の宣伝コピーで「はて?」と首をかしげたのが「『ロミオとジュリエット』の原点となった史上最も美しい悲恋物語」という文。

初めて聞いたぞ。そんなこと。以下サイトから引用。
(公式サイトがFlashでテキストのコピペができなかったので、見ながらテキスト入力しました。誤字脱字があった場合はすべて管理人みんの責任です)

『ロミオとジュリエット』の原点となった史上最も美しい悲恋物語
あなたはしっているだろうか? シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の元になった悲恋の物語が存在していたことを。その禁じられた愛の物語は、1500年前にケルトの伝説として誕生。依頼、時代と国境を越えてヨーロッパの人々を魅了し、宮廷詩やアーサー王伝説の一部として語り継がれていった。これを元に、シェークスピアは悲恋物語の最高傑作を執筆。さらに19世紀には、リヒャルト・ワーグナーが、類い稀な和音の旋律に彩られたオペラを誕生させた。まさに至高の芸術の原点となった至高のラブ・ストーリー。それが『トリスタンとイゾルデ』だ。

ソース:映画『トリスタンとイゾルデ』公式サイト

わたしはシェークスピアも大好きですが(一番好きなのは「リチャード三世」)、トリスタン物がシェークスピアに影響を与えてるというのは、初耳だ。そりゃ古い作品が影響を与えるのは当然だが、この件に関しては影響は薄いと思う。

というのも、中世にヨーロッパ中で大流行した、アーサー王物、トリスタン物、ニーベルンゲン、ローエングリン、ローラン、エル・シド、などの騎士物語は15世紀末ごろから、印刷術の発達とルネッサンスの勃興と並行して、急速に廃れてしまったという事実があるから。本当に見事なくらい人気が落ちた。現存する騎士物語の多くが手書きの写本で、印刷本の数が少ないのも、当時の需要を反映しているのでしょう。

なぜ騎士物語の人気ががくんと落ちたのか?

  • 戦争技術の発達、弓、槍、なかんずく火気の登場で戦争の主役は甲冑に身を固めた騎士から軽装の歩兵に代わったこと。勇壮な騎士の一騎打ちというのにリアリティが減り、騎士道そのものに対する大衆の魅力も減っていった。
  • 経済状況の変化。ブルジョアという市民階級の勃興で富が移動したこと。国王や貴族が借金もちになり、資本を転がす商人や業者のほうが金持ちになる。それに伴い文芸の読者層が広がり、新たな読者は起源神話めいた神秘英雄より実在の王様の話や身近なネタをもとめるようになった。
  • 東ローマ、ビザンツ帝国の崩壊後、ビザンツが所有していたギリシャ起源の物語や文書などが大量に西ヨーロッパに入ってきたこと(西ヨーロッパでは西ローマの崩壊でギリシャローマの伝統が一旦途絶えていた)。結果アーサー王よりアイネイアスやヘクトルの話のほうがトレンディになった。
  • 宗教改革の流れが起こり、ローマのカトリック教会と教皇権が衰退したこと。聖杯伝説に代表されるように騎士物語は神秘主義的色合いの強いキリスト教。交通や経済の発展で世界が大きく広がり、神秘より論理、幻想より写実へ向かう流れが始まったこと。

などが考えられる。
もちろん当時は情報の伝達スピードが遅いので、現在に比べたら変化もゆっくりだが、騎士物語、幻想物語の需要は確実に減っていった。

騎士道物語の最後の作品「ドン・キホーテ」(前編1605、後編1615年)は当時大ベストセラーになったが、この作品は騎士道物のパロディで、現体制への批判を含んだ風刺文学であり、従来の幻想を主体とする物語とまったく異なる。(※1)

これら幻想的な騎士道物語が発掘、再評価され再び人気が出るのは19世紀になってから。

シェークスピア(1564-1616)は16世紀から17世紀にかけての人だから、丁度騎士物語の人気がなかった時代にあたる。
彼は劇作家で、つまり客のいる人気商売。当然ながら当時の観客の需要にあったものを書いたはず。当時トリスタンものが出回っていたかどうか不明だが、この時代の人から見れば古式騒然の時代遅れの物語に見えただろう。

※1 「ドン・キホーテ」の作者セルバンテス(1547-1616)はシェークスピアと同時代の人。しかも没年も一緒。

シェークスピアの作品はほとんどにタネ本があることが知られている。

「ロミオとジュリエット」(初演1595年)の場合は、オイディウス(紀元前43年-紀元17年)の「変身物語」に入っている「ピュラモスとティスベ」が原型といわれている。
「ピュラモスとティスベ」は「真夏の世の夢」(初演1592年)の劇中劇でも使われているので、シェークスピアが知っていたのは確実。
物語の内容:ピュラモスとティスベ―オウィディウス

ただしこの物語は、仲たがいの家の恋人とすれ違いが生む悲劇という構造は似ているが、登場人物も恋人二人とライオンくらいしかいない。

15世紀にイタリアのナポリで出版された本が現在のロミジュリにかなり近いらしい。
以下ウィキペディアから引用

ロミオとジュリエットの物語の成立は、西欧の民間伝承やギリシャの古典物語に端を発している。ナポリにて1476年に出版されたマスチオ・サレルニターノ作の小説集には、シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』の原型と思われるエピソードが登場する。その物語中には、修道士の仲介、計略が失敗する過程など、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に近いモチーフが含まれている。ただし物語の舞台はシエナで、恋人達の名前はマリオットとジアノッツァである。

ソース元:ロミオとジュリエット 物語の成立と変遷(ウィキペディア)

この後何度かイタリアの作家によって翻案され、1562年に英語訳が出版。この英訳を元にアーサー・ブルックが書いた物語詩「ロミウスとジュリエットの悲しい物語」(1562年)が、シェークスピアの直接のタネ本となる。

オイディウスから15世紀イタリアの作品までに、どのような変遷があったかは不明だが、オイディウス自体がトリスタン物に影響を与えた可能性は高いと思う。
しかし、ロミジュリの原型の物語が、トリスタン物に影響を与えたとして、それをもってロミジュリのもとネタがトリスタンとは、どうしてもいえないよなぁ(^^;)

わたしはトリスタンもロミジュリも、オイディウスに影響された別系統の物語だと考えている。
トリスタンもロミジュリも、オイディウスという土台を部分的に使って、オイディウスだけでなくそれぞれいろんな伝承や地域の風俗を取り込んで、今残っている形になったということ。

結局、シェークスピアが「ロミオとジュリエット」を書くにあたって、「トリスタンとイゾルデ」の影響が無かったといえないが、同時にあったともいえない。
そもそも400年も前の作品にもとネタ争いなんてナンセンスだが、今回の映画会社の宣伝コピーはかなり黒に近いグレーな(虚偽性の強い)コピーに感じた。

わたしはシェークスピアがアーサー王の芝居を書いてくれてたら、悲劇だろうと喜劇だろうと、さぞおもしろいものになっただろうと思う。だが実際にはシェークスピアが書いたのは、イングランド史を扱った史劇とギリシャ・ローマ・イタリアの話を使った喜劇・悲劇で、中世のケルトやブルターニュ物を起源に持つ作品は皆無だ(※2)。
「ハムレット」がデンマークの話で中世北欧起源なことと、「リア王」の原型がモンマスの「ブリタニア列王史」に出ている「レア王」なことくらいが中世の残滓を残しているが、「ハムレット」も「リア王」も一民族の伝説を越えて普遍的な悲劇(何度も時代や場所を変えて翻案されている)になっている。

※2 真夏の世の夢のタイタニアとオベロンの妖精カップルはケルトぽいところもあるが、これは飼いならされたケルトというか、中世の騎士物語のさらに原型にあった、不条理で時に恐ろしい人智を超えた力のようなものは感じられない。技術の進歩によって人間が世界(自然現象)を飼いならし始めたことで、神々や精霊は、害の少ない妖精に変化していったのだろう。

注1:エントリー中の生没年、出版年、上演年については異説もあります。
注2:「トリスタンとイゾルデ」が「ロミオとジュリエット」の元になったとする根拠は、わたしには見つけられませんでしたが、可能性が無いわけではないですので、情報、仮説をお持ちの方はコメント欄にてお寄せ下さい。ぜひ情報おまちしてます!

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2006.11.05

手首をなくした王

トラックバックをいただいたデコデコマンさんの「デコ親父はいつも減量中」のエントリー、トリスタンとイゾルデ−(映画:2006年134本目)−が大変おもしろかった!! 主人公二人の関係の例3つには、読みながら爆笑です。

このエントリーはおもしろいだけでなく、わたしがスルーしてしまっていた重要なポイントが指摘されている。
以下にデコデコマンさんのエントリーから引用します。

街中で手を握るシーンなんて、手首を切り落とされているマーク王の人格を踏みにじっているようで見るに耐えなかった。

広場の市のマーク王とイゾルデ、トリスタンがイゾルデに近づいてこっそり手を握る。それを見て、状況に気が付く裏切り者達。あんな人目の多い公衆の面前で手を握ったら、ばれるに決まってるだろ! しかもこっそりやってるからあやしさ倍増。すこしは物考えろよ! と映画見ながら思った。

しかしデコデコマンさんが書くように、側にいるマーク王が右手首を失っていること、イゾルデと手をつなぐことができないことを思うと、トリスタンとイゾルデの行動はあまりにも無神経で、マーク王に対する同情と哀れみで涙が出そうになった。
しかもマーク王はトリスタンを助けるために手首を失っているのだから…。
制作者がどこまで考えているのか(あまり考えてないからのような気がしてしまうのが悲しいけど)不明だが、このシーンのトリスタンとイゾルデ二人の行動には、まったく共感できないし、マーク王に対して残酷すぎると思う。

ここで、手首をなくしたマーク王について考えたい。

王や領主と領民の関係は、基本的に支配と保護です。領民は王に外敵から守ってもらいことの見返りに、年貢などの物品対価、忠誠や尊敬など心的対価を与える。古代では「外敵」に自然災害や病気、自分たちの理解を超えた現象もすべて含まれた。そのころは王は神々との仲立ちをつとめる者、神官でもあった。だからこそ強い者が王になる。病弱な王では戦争になったときに困るのはもちろんだが、土地の実りも子孫繁栄も望めない(自分たちの子供が生まれない、育たないのも、王に子供がいないから)、というのが古代の理論。

予言をし損ねた予言者が死ななければならなかったように、外敵からの防衛に失敗した王は死ななければならなかった。
疫病が流行ったり、災害で作物が実らなかったりしたら、王が神々との仲立ちに失敗した(神々の庇護を失った)ことなので、王は生け贄として殺され(時には自ら生け贄になる)、神々が気に入りそうな新たな人物が王になった。
老いた王が若い後継者に国を譲るというのは、こうゆう意味がある。

神々が気に入りそうな人物はもっとも優れた者、強く賢く美しく、気前がよく、勇敢で、献身で、芸術にも優れ、精力もばっちり、全てにおいて並外れている者ほど望ましい。

ケルトや北欧・ゲルマンの古代の信仰では、土地は大地の女神のもので、その土地の女王や王女は女神を象徴する存在だった。王は女神である女王と婚姻することで、土地の支配権を得る(※1)。王は常に「全き者」「完全な者」でなければならなかった(※2)。

※1 アーサー王伝説では王妃グウィネヴィアが大地の女神を象徴する存在。実際アーサー王国の重要アイテムの円卓はグウィネヴィアが結婚の引き出物として持ってきたという伝説もある。これは土地の女神と結婚した英雄という物語が変形したものだろう。また、グウィネヴィアとランスロットの浮気も、女神が老いた王から若い英雄に寵を移したとも読める。モードレッドが反乱を起こして、義理の母グウィネヴィアと結婚しようとするのも、グウィネヴィアが王国そのものを象徴する存在だからだ。

※2 アーサー王伝説の聖杯城の漁夫王は膝(の間)に傷を負って、痛みで馬に乗れず騎士としての娯楽、狩猟や馬上槍試合に参加できない。なのでいつも小舟で釣りをして過ごしている。聖杯によって王の傷が癒されるまで、この土地は作物が育たず、病気で人々が死に、経済活動も停滞した不毛の地だった。膝(の間)の傷とは、○ニス(ここストレートに書いたらやたらエロスパムトラバがきたので伏せ字にしました。全くめんどくさい!!)に傷を負った、生殖能力を失った、という意味の湾曲な言い方です。伝説の根底には王が病むと土地が荒れるという考えがあった。
ブアマンの映画「エクスカリバー」の聖杯のくだりは漁夫王がアーサー王に置き換えられいて、病んだアーサーと王国の荒廃がセットになり、パーシヴァルが聖杯の力で両方を同時に癒す物語になっている。

体の一部をなくす、というのは、完全な者でなくなるという意味で、古代の習慣に従うならマークが王でいることはできない。しかし時代が進み、王国も単一の血族集団からだんだんに大きくなり、支配者側も領民も人間関係が複雑になれば、それだけで王を生け贄にしたり、退位させたりするわけにもいかなくなる。

加えて、映画のマーク王は有能で部下や領民、他の諸候からも慕われているし、右手首がなくてもいざというときには戦っている。マーク王が王でいるのは彼の人柄が大きいと思う。

この場合「なくした手首」というのは何を意味するのだろうか?(※3)

すぐに思うのは愛情表現において不利だということ。しかもマーク王は手をなくす前にラブラブな奥さんがいたわけだし、新妻を迎えて手が一つというのはかなりもどかしいだろう(イゾルデに対する負い目にもなってたはずだ)。
ほかには「王の手(ロイヤルタッチ)」。王が手を触れることで病気が治るという信仰だ。(「王の手」が左右どちらかに特化してるものなのか、両方つかえるのかどうかは、ちょっと調べ中)これができなくなるというのは、やはり王としての不完全さを象徴するとも読める。

※3 西洋絵画の象徴性から調べようと思ったのだが、ちょっと漠然としすぎていて「手 象徴 西洋絵画」ではネットではとくにそれらしいものは引っかからなかった。やっぱり高いけど象徴辞典買うかなぁ。こんなのとか。新装版 西洋美術解読事典

美術史の方からの考察はちょっと保留にして、似たような伝説や神話がないか考えてみた。

あったです。
北欧神話の軍神チュール!!(テュールと表記されることもある)

巨大なオオカミの怪物フェンリルを拘束しておくために、神々はドワーフに“絶対に切れない魔法の鎖グレイプニル”を作らせた。問題はどうやってフェンリルに鎖をつけるか。この鎖は見た目はたいそう華奢だったらしい。
オーディンはフェンリルに「こんな鎖くらいおまえはすぐひきちぎれるだろう。ひきちぎれないほど弱いならおまえは害がないからすぐ解放してやる」と言う。当然ながらフェンリルは信用せず(そしてそれは正しい(^^;))、縛られる間、神々の誰かが自分の口に腕を入れておくことを要求する。だれもが怯んだが、一人チュールは平然と右腕をフェンリルの口の中に差し入れた。その間にフェンリルはグレイプニルでぐるぐるに縛られる。しかしどうしてもひきちぎることができない! 鎖が切れないから解放しろとオーディンに迫るが、もちろんオーディンには解放する気はさらさらない(大神ともあろうものがかなりせこいぞ)。怒ったフェンリルはチュールの腕を喰いちぎってしまう。これ以後チュールは隻腕だが、この行為で勇気を多いに賞賛された。
テュール(ウィキペディア)

北欧やゲルマンの神話では「勇気」という気質がとても重要なので、この話もチュールの勇気が一番のポイントだが、もう一つこの話には「犠牲」というポイントがある。
チュールはおそらくオーディンの策略を知っていたろうから、フェンリルの口に腕を入れた段階で腕をなくすことも覚悟していただろう。アースの神々みんなのために自分の意志で、即座に自らの腕を犠牲にした。この時怯んだ他の神々は自分の身を思わずかばってしまったわけだ。自分にできなかったことを、ためらいもなくできたチュールに賞賛が集まるのは当然だ。

マーク王は子供のトリスタンをかばって右手を失った。アイルランドの襲撃者たちはオオカミの獰猛さを連想させる。子供を助けるという行為はとっさのことで、チュールの行為よりも人として自然だし、時代を問わず共感する行動だろう。ただし自分にできるかどうかは、だれでもその場にならないとわからない。でもマーク王は一瞬の判断でそれができた。

つまりマーク王の場合、手首をなくしたことは不完全さを表すのではなく、賞賛する行為の結果となる。失ったことがかえって王としての完全性を体現しているのだ。惜しげもなく子供をかばうことで、目に見える部分の手を失ったが、目に見えない部分の手(守り手、国の担い手などの言葉で現される)象徴性はより完成されたのだ。

マーク王が助けた子供は、妻と共に殺された自分の子供であり、彼が王として守らねばならない領民、国土を象徴する存在だ。
だからマーク王は子供=トリスタンを愛するし、彼が成長し強くなることを喜ぶ。
トリスタンの裏切りは、マーク王にとっては自分が守ってきた全てのもの、領民、コーンウォールの大地からの拒絶とも受け取れただろう。

しかしマーク王は、結局トリスタンを許しイゾルデと共に逃がそうとする。彼はもう一度自らを犠牲にして相手を助けようとするのだ。自分の想いを犠牲にしてトリスタンとイゾルデの心を助け、自分の体を犠牲、あるいは生け贄にして領民と大地を救おうとする(※4)。

※4 この究極の自己犠牲は一種、イエス・キリストを思わせる。「イエスの十字架上の死は人々の罪をあがなう」といわれるが、これは全ての人のために自らを生け贄に捧げるという究極の愛の行為だ。イエスが偉大なのは「犠牲/生け贄」によって救われるものの概念を、一部族とか一国とか民族とか地域やナショナリズムの枠にとらわれず、全ての人間にまで広げたことだ。わたしは信者ではないが、この発想の転換は素直にすばらしいと思う。

ここまで書くと、やっぱり映画の中ではマーク王が一番かっこよくてすばらしい人だったと再認識する。正直トリスタンの株はかなり下がったなぁ。
もっともトリスタンもまた、最後には自らを犠牲にすることの意味を知ったと思う。ただし彼は若さゆえか、自分の犠牲にイゾルデを巻き込んで、本人の同意もなくイゾルデを犠牲にしていることには気が付けなかった。

映画ではトリスタンは死に、マーク王は生き残って国を再建する。
神々はトリスタンという生け贄を受け取り、ここに神話的、魔術的な世界と時代は終わりを告げた。神々は時の背後に後退する。生き残ったマーク王は、より神話的・魔術的人物であるにもかかわらず、現代に続く理性と倫理の世界へ向けて再建を始める。

世界は理性と倫理で開かれ、発展するが、神話的・魔術的な領域を捨て去ってしまっては、やはりうまく行かない。
マーク王というキャラクターは、ときには闇は闇のままに、謎は謎のままに、心の問題をすべてさらけ出して解剖することなく、受け入れることも必要なのだということを教えてくれる。

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2006.11.03

ドナカー王の城はどこ?

アイルランドのドナカー王の城(というか砦?)はどこあるのか??
映画では地図が一瞬しか出てこないし、スペルも読み方もよくわからなかった。Dで始まるのは覚えていたのだが、ダブリンじゃ北過ぎるよなぁと思って、物語アイルランドの歴史に出てるアイルランドの地図を見てみた。
すると、南の方にダンガーヴァンという場所がある。スペルはわからないが、ここのことかな??

さて、トリスタン研究ノートのぴっぽさんのエントリー、「映画トリスタンとイゾルデ」〜相違が生む悲劇に映画の地図のスクリーンショットがでてます。(ドアー城の場所が間違ってるというどかーんというネタもあってオススメエントリーです!読むべし)

地図をみるとスペルは Dunluce (ダンルース)。映画の地図はそれっぽくアバウトな地図だし、手持ちの小さい地図にはそれらしい名前は出てないので、ググった。

Dunluce Castle
87 Dunluce Road
Portrush
BT57 8UY
Antrim
Northern Ireland
ソース:24 Hour Museum

……………ちょっとまて!
Northern Ireland だと!!!
北アイルランドじゃん!! ダブリンより上ですか!!!!

ここのAの場所です。

※グーグルマップを貼付けたかったのですが、どうしてもうまく行かないので、スクリーンショットです。mac OSXでSafariだからかも…(;_;)
グーグルマップでDunluce Castleを見る

映画の地図アバウトすぎるぞ!! 全然場所が違う〜〜
コーンウォールからここの浜に流れ着くのはいくら何でも無理なんでは…(笑)
絶対途中で補足されるよ。

まあ映画の地図上のドアー城はそもそもここコーンウォールか? という微妙な場所にあるのだが……。

ついでに映画でトリスタンの故郷とされるタンタロンも調べてみた。ぴっぽさんのとこの画像を見るとスペルはTantallon。
ここBの場所だった…。

グーグルマップでTantallonを見る

おおーーーい。エジンバラの側だよ。ブリテン島の反対側じゃん。しかもここスコットランドだし(爆)


まさかここまで違った場所にあるとは思わなかった。orz

こんなに実際の場所と違うのに、なぜ実在の地名にこだわるのか全くなぞです。これならトリスタンの故郷も伝説の島リオネスで何の問題もないよなぁ。
地理条件の合う場所で実在の地名を探すか、出なければ全く架空の地名にしてしまった方がよかったのでは………(^^;)

一応予告編からとったスクリーンショット。
Map3_4
「ト」のとこにあるのがDunluce (ダンルース)
「デ」の右にあるのがTantallon(タンタロン)
「ンと」のあたりの米粒型の島がたぶんマン島。
タンタロンはどうみてもウェールズにあるように見える(^^;)

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5、6世紀頃のアイルランド

前回書くといったものの、実はこの頃のアイルランドってすごく資料が少ない!! まだ不明なことも多いです。

関連エントリー:5、6世紀頃のイングランド

なんで資料が少ないかというと、これまたローマとの関わりの問題。紀元前55年ごろから征服が始まって、西暦410年までどっぷりローマ化したイングランドは、ローマの役人、文筆家、後にキリスト教聖職者がせっせと自分達の記録を文字で残した。
しかしアイルランドはイングランドと違い、ついにローマに侵略されることも征服されることもなかった(※1)。

※1 ローマが軍を進めるチャンスはあった。西暦84年ローマの将軍アグリコラがスコットランドを平定しブリテン全土を手中に収めた。当時のローマ軍は世界最強だし、やろうと思えばアイルランドに侵攻することもできただろう。でも結局やらなかった。明確な理由はよくわからないが、ローマからすれば、地中海や大陸側と比べて農業地としての特性も低いし、辺境すぎて征服するメリットが少なかったのかもしれない。

おかげでアイルランドは、ヨーロッパ地域ではほとんど消えてしまったケルト系文化を長い間保持していた。しかしケルト人は自分達の文字を持たない口承で歴史や習慣を伝える部族だったため(※2)、キリスト教が入ってきて聖職者が記録をつけはじめるまで、同時代人による文字で書かれた記録がほとんどない! 
学者が調べるのも、お墓の碑文や埋葬品、遺跡や住居跡などが中心。他にはローマやギリシャの著作にかかれた、伝聞を元にしたとおぼしき情報になる。ローマやギリシャの著作には書き手の偏見(アイルランドなんて地の果ての野蛮人の国です)も多分に入っているので、情報の精度はさらにあやしくなるのでした…。

※2 念のため書いときますが、文字のあるなしと文明の高さはあまり関係ありません。文字を持たなくても高度な文明を築いた種族はある。南米のインカ帝国などもその例。さらにローマと接触したケルト人、その知識階層であるドルイド僧にはラテン語の読み書きができる人もいたらしいが、彼らがラテン語で何かを書き残したりはしなかった。口承で膨大な詩を暗唱できたドルイドにとっては、文字なんてのは物覚えの悪いローマ人が使うもの、という認識だったかも。

5世紀はじめ頃、アイルランドにもキリスト教が入ってきた。おもしろいことにアイルランドの布教では殉教者が一人も出ていない。布教者たちは、土地の信仰を排斥せず、むしろ取り込む形で布教を続け、受け入れられたようだ。アイルランドにやってきたキリスト教は、ローマを頂点にしたカトリックとは違う系列、むしろ東方教会に近い形のキリスト教だったという説もある。
現在残っているキリスト教以前のアイルランドの伝説や、その後の歴史の記述はこの聖職者達が写本に書き残したものです。

これらの記録や遺跡からわかるのは映画の時代、5、6世紀ごろのアイルランドは島中がなんと150前後の小国にわかれた戦国時代だったということです(※3)。
アイルランドの国土はだいたい北海道と同じくらい…。国によって大小はあっても一国、ずいぶん小さいです。
っていうか、もしかするとコーンウォールの方が大きいってこともありうるな(爆)

※3 ちなみに日本の場合、戦国時代の大名の数は270くらいで、徳川が天下を取った頃は140くらいだそうです。

イゾルデのパパ、ドナカーは「アイルランド王」ってなってますけど、実は「アイルランド(の中の国ひとつ)の王」で決して「アイルランド(全土)の王」ではありません〜〜。
この人がすごく極悪に描かれかますが、当時の状況を考えるに、所詮小物なんですよね(笑)
その後アイルランドの小国も婚姻や戦争などで統廃合(笑)を繰り返すが、12世紀(イングランドではヘンリ−2世のころ)になってもまだ群雄割拠の中小国が乱立していた…。

プログラムにドナカーのスペルが出てたので、ググって見ました。
Donnchadh は DUNCAN(ダンカン)から来た名前で、スコットランド、アイルランドなどゲール語の男性名。13世紀に
Donnchadh IV, Earl of Fife(ファイフの伯爵ドナカー4世)という人がスコットランドいますが、多分関係ないな(笑)
Donnchadh IV, Earl of Fife (ウィキペディア英語版)
結局ドナカーの元ネタは不明。特に思いつく人もいないなぁ。

6世紀ごろからアイルランド側からイングランド、ウェールズ、スコットランド方面への侵略、侵攻があったことは確かです。スコットランド王家の元になったダルリアダ王国はこの頃植民したアイルランド系住民の国です。
しかしこれって、ぶっちゃけやったことをやり返されたようなもので、以前にはイングランド、ウェールズ、スコットランド側からアイルランドに侵攻してました。さらに「5、6世紀頃のイングランド」に書いたように、イングランド、ウェールズ、スコットランドはローマに、その後は大陸からサクソン、ジュート、アングル人に侵攻されてました。イングランド、ウェールズ、スコットランドの三つの地域もぐちゃまらにお互い攻めたり攻められたり…。

さらに侵略した側は奴隷として人間をさらっていくが、これはアメリカの黒人奴隷制とは大きく違う。
古代社会に奴隷制は付きものだけど、このルールは非常に簡単。「敗者は勝者の奴隷なる」これにだけ! 言葉や信仰、ましてや肌の色なんかは関係ない。見た目が違えば他国で不利になることもあるだろけど、それを武器に成り上がることも可能だ。また負けても逃げた仲間たちが戦争を吹っかけて勝てば、今度は立場が逆転する。広き門とはいえないが、奴隷なっても才覚や運次第で盛り返すことも可能な制度だった。アイルランド側もイングランド側も両方やってたこと。8世紀になるとバイキングの襲撃が始まるが、彼らも当然のように奴隷にさらっていった。

この時代を描くにあたって、一番気になったのはイングランドとアイルランドという国同士の話にしてしまったことと、それにしてはアイルランドが悪役すぎること。
当時の領主やら王やらには、悪党もいればいい人もいただろう。しかしアイルランド側で名前のあるキャラ、ドナカーとモーホルトのどっちもを最低に嫌な奴にする必要はないと思う。イングランド側にはいろんなタイプの領主がいるのに。アイルランドの二人が二人とも悪役では、アイルランドでは100%悪役しかいないじゃん(^^;)
これでは印象操作といわれても仕方ないように思う。

制作者側はわかってやってるのか、無意識なのか、どっちにしても問題があると思うのです。

アイルランドはダブリンしか行ったことないけど、いいとこですよーー!!
お金と時間があればまた行きたい。今度は地方をまわりたいなぁ。

アイルランドのケルト的な部分とか全然かけなかったので、それはまたいずれ。

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2006.11.02

5、6世紀頃のイングランド

見た直後の感想でも書いたけど、この映画で「イングランド」と「アイルランド」の関係が気になった。
映画を見て、あれが史実だと思う人がいると困る(※1)ので、5〜6世紀のブリテン諸島の様子を映画と絡めて書いてみる。

※1 たぶん生きていく上での必須知識ではないから(笑)だれも困らないような気もするが、中世好きとしてのわたしが困る(^^;)

映画は「ローマ人が撤退した後」の時代が舞台。
ローマ軍が撤退したのは西暦410年。この頃にはローマ帝国自体の屋台骨がぼろぼろで、とても属州支配の余裕なんかなかったころ。ローマから見ると最果てってくらい辺境の属州だったブリタニアは、大陸のガリア方面、北のスコットランド、ノルウェー方面、西のアイルランド方面から、常に蛮族の侵入にさらされていた。ローマのにらみが利いていた頃はこれらもおとなしくしていたのだが、ローマ本国にごたごたが続くと好機到来と活動始めた。
つまりブリタニアの人たちは「自分の身は自分で守ってね」とローマからほっぽり出されたわけだ。
ブリタニアは辺境とはいえ、500年のローマ支配の間にケルト系とローマ系は混ざり合い、住民もローマ化し、キリスト教もある程度普及していた。 

はっきりとは書いてないが映画の時代はローマが去った後、七王国成立以前か成立直後ぐらいに思われる。だいたい6世紀中頃か。

七王国とはノーサンブリア、マーシア、イースト・アングリア、エセックス、ウェセックス、ケント、サセックスの七つ。当時大陸側から侵入してきたアングロ・サクソン系が築いた王国群です。


ソース:Anglo-Saxon Britain

地図でわかるようにコーンウォール(ドムノニア)はこの七王国に入っていない。
実はコーンウォールやウェールズなど、地図で緑色の部分はサクソン、アングル、ジュート族の侵入で辺境に追いやられた(要するに戦争に負けて土地を追われて落ち延びた)ブリトン人またはブルトン人が定住した土地なのだ(※2)。
つまりコーンウォールの人から見れば、ウェセックスやサセックス、ノーサンブリアのヨークの諸候なんかは、アイルランドと同じく敵の侵略者だったのだ。

※2 フランスのブルターニュ(ブリトン人の国の意味)も落ち延びたブリトン人の定住地。実際コーンウォールはアイルランドよりブルターニュの方が断然近い。

マーク王が諸候を集めてイングランド防衛を説くが、イングランドは元々アングル族の国の意味だから、本来イングランドというアイデンティティ成立以前のコーンウォールの領主が使う言葉ではないはず。七王国側の土地の領主にとっては、地理を見てもアイルランドからの侵略はほとんど関係ない。地図で緑の部分が緩衝剤になってるからだ。

コーンウォールの王がアングロ・サクソン系の領主達に助けを求めることはあったかもしれないが、当然彼らとて無償では動かない。報酬は土地か黄金か。ヘタしたら今いる土地まで全部とられちゃうかもしれない危険な戦略だ。
そもそもサクソン侵入のきっかけが、内部の対立に外国の勢力を呼び込んだことなのだから。

マーク王は「王」を名乗っているが、小国が乱立していた時代だから実際には他の諸候と比べて特に権力があるわけではない。

長くなったのでアイルランドの話は次のエントリーでやります。

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お城の抜け道ばなし その2

関連エントリー:お城の抜け道ばなし その1

お城の抜け道に関するツッコミでもう一つ。
この抜け道は、トリスタンとメロートとサイモンという幼なじみ三人が、大人になった時に発見する。

これすごく疑問なんだけど、なんで「子供のときに発見する」にしなかったのかなぁ?

大人でしかも三人とも戦士なんだから、この抜け道が城の防衛上すごく重要なものだってわかるはずでしょ。そんな重要な情報を、おまいらなぜ城主のマーク王に伝えないんだぁぁぁぁぁ(エコー)

マーク王が知ってたら、絶対対策してただろうと思う。敵に見つかったら大変だし、いざというときの逃げ道にするにしても、外からは入れないで、中からだけ開けられる鍵をつけただろうなぁ。
まったくおまいら三人、血の気と性欲だけかよ!と突っ込むわたしだった…orz


子供の頃に遊んでて抜け道を見つけたのだったら、三人で内緒にしてしばらくは遊んで、成長する間に忘れちゃったのだろう。
トリスタンはイゾルデと密会するために思い出したが、防衛上の問題だとわかっていても、どうしてもマーク王に言い出せなかったというのもわかる。メロートが忘れていたのも自然だし。
なにより親をなくした寂しい少年たちの子供の頃の遊び場に、後年彼女を連れてくるって設定は、それだけでみなさん萌えるでしょう!!(笑)
せっかくの萌えポイントなのに残念です〜。

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2006.11.01

お城の抜け道ばなし その1

映画の中で、二人の密会に、敵の侵入に、トリスタンの決戦用に、と何度も使用されるお城の抜け道。ローマ時代の遺跡の上に建てた城らしいく、この向け道もローマ時代のものらしい。近所にローマの遺跡やらもある(密会場所になってる)

最初にこの抜け道が出てきた時、「お、グロッタか!」と喜んだのです。
上げ蓋揚げたすぐにローマの遺跡っぽいのが見たからね。

グロッタとはイタリア語で洞窟の意味ですが、自然の洞窟や人工洞窟にグロテスクな装飾や噴水などを施した庭園アイテムのこと。ルネッサンス以降の庭園によく作られたが、もともとはローマ時代の庭にあったらしい。
神話学や心理学では、洞窟は死後の世界、異界、子宮、秘密、などを象徴するモチーフ。グロテスク模様は異界性をアップするし、グロッタを通ることは現世の常識やしがらみから自由になることや、生まれ変わりを意味する。

秘められた恋の二人にはぴったりのアイテムじゃないか!

と、思ったのに……。
あっという間に深遠な象徴性はどっかにいってしまった....orz

異界に行くためには儀式が必要でしょーー。二人ともあんなにばたばた駆け抜けないでくれ〜〜。
最終的にメロートが裏切り者達を引き連れて抜け道を通ることで、異界への道は生臭い現世の単なる抜け道に変わってしまう。

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「トリスタンとイゾルデ」見た直後の感想

ミクシィにあげた、見たその日の感想を転載します。
けっこう辛口(^^;)
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まず一つ!
媚薬使わないならせめて婚前交渉はやめろ…orz

初夜問題(※1)どうやってクリアしたんですか、イゾルデ!?
ブラグウェンにあたるのは、映画では乳母ブラーニャだがおばさんだし、多分未亡人なので当然この役は果たせません。

※1コーンウォールに向かう船の中で媚薬を飲んで、一線を超えてしまった二人。初夜の床でイゾルデがバージンでないのがばれると大変なので、間違えて媚薬を飲ませた侍女のブラグウェンが責任をとって、暗闇の中身代わりになってマルク王をごまかした。(ひっでー(^^;))

映画では何にも言わずにマーク王はイゾルデと夫婦生活してますが、気が付かなかったのか? 気が付いていながら何も言わなかったのなら、トリー(※2)との仲にも察しがつくと思うのだが。
つねづね疑問なんだけど、女性から自己申告なかった場合、男性は処女かどうか、本当にわかるものなの? 出血の有無も人によるしさ。だれか教えてください。

※2トリスタン、トリストラムのわたしの省略形(笑)

「トリスタンとイゾルデ」はめくるめく愛の世界なわけだが、この映画、トリスタンを助けるイゾルデに始まって、二人のヌードやら濡れ場やら密会がやたら多い。きれいに描いてるしややエロスくらいなんだかど、「媚薬」という魔法アイテム、超自然的な要素を外したおかげで、こいつら頭ん中セックスだけかよ! って風に見えちゃう。

でも恋愛ってセックスだけじゃないじゃん。深い恋、深い愛、になればなるほど、相手(その立場を含めて)を想い、目を交わしただけで幸せとか、あるでしょ。(こう思うのはわたしがロマンチストだからかもしれないけど)わたしはそれが美しいと思う。
「媚薬」というアイテムはこういった思慮を取っ払って、ある種、愛の獣性をも解放する代物だと考える。だから二人は自分達の行動が制御できないし、正気のときの忠誠と自分ではどうにもできない愛の狂気の間で苦しむ。

映画では忠誠と愛の狭間で悩むというのがあまり感じられない。二人が悩むのは、一緒にいられない、ただそれだけ。そのくらい冷静になれば決着つくだろ! って程度。
こう感じるのはわたしが熱烈な恋愛をしたことないからでしょうか? (笑)
現代物ならまあこうゆう描き方も許すんだけど(見には行かないけど)時代物で、しかも二人は人の上に立つ王族や族長クラス。ならばやっぱりノブレス・オブリージというポイントがもっともっと欲しい。でないとわたしはやっぱり共感できないなぁ。

二人はマーク王のことは多少考えてるが、この映画を通して背後の民衆、戦場で実際に苦労する一般人はほとんどでてこない。マーク王はそうゆうことを考える立派な君主として描かれているので、実は一番カッコいい。

アイルランドとブリテンの扱いも、ちょっと、というかかなり気になった。
ローマが去ってしばらく後の他民族に侵略されてる時代といえば、歴史上のアーサー時代なのだが、アイルランドが徹底的に侵略者の悪者として描かれているのがいかにも短絡。「キング・アーサー」でサクソンが野蛮人の悪者だったのを思い出す。
そもそもこの時代アイルランド全土を支配する王はいない。ドナカー(この名前はどっからきたんだ?)はアイルランドの王の一人のはず。ブリテンが地方豪族に分割されてるのと同じ。アイルランドに対抗する同盟としてブリテン中から部族がやってくるってのもかなーり無理がある。部族の仲にピクト、サクソン、ジュートも入っているようだが、サクソンやジュートは一部が定住後も波状的に何度も東から侵入しているのだから、ヨークの部族まで本拠地を開けてまで見返りもなくコーンウォールまで来るとはとても思えない。ずっと「イングランド」って言ってるのも変だ。イングランドはアングル人(アングロ・サクソンのアングル)の国の意味だから、この時代はまだイングランドは成立していない。せめてブリテンといってくれ。実際地図にはブリテンって書いてあるのに…。(はっきり覚えてないがトリーのパパのときはイングランドという言葉は使ってなかったかも)

イズーの母の死にキャプションがHigh Queenってでてたのが、アイルランドの部族社会を少し暗示してたけど、伝説ではイズーの母親が実験握ってる雰囲気なんだけど、さっさと死んでしまうので、ケルトの女権イメージはみごとにすっ飛ばされてたなぁ。なんであんなに家父長制なんだ。

メロートというおいしいキャラを出しておきながら生かしきれないのも残念。サイモンは最初からいらないから、トリスタンとメロート、二人の友情と仲違いをもっと描けば腐女子萌え度アップなのに~~。
メロートの元ネタはサー・アングレット。トリーのいとこでイズーとの関係をマルク王に暴露する人。ランスに対するモードレッドの役割と同じ。名前からしてモードレッド役割定着後に同位置のキャラとしてトリスタン伝説に混ざったのだろう。

トリスタンの名前もぶっ飛んだ。なんで両親生きてるの!?(※3)理由もなく息子につけるにはひどすぎる名前でないですか(笑)

※3トリスタンの意味は「悲しみの子」というのが一般的。一般的な伝説では父はリオネス(コーンウォールより先の伝説の島)のメリオダス王、母はマルク王の妹。父が死んで母も息子を生んで瀕死。母は生まれたばかりの息子に「父もおらず自分が成長を見ることもできない『悲しみの子』」と名付けて死亡する。

ただし映画ではウィトレットが「ピクト人には従ええん!」というとこみると、トリスタン=ピクト人説を取ってるのかも。その場合は名前はドルストとかドルスタンになるのだが、語感が悪いからねー(笑)
パパの名前のアラゴンは元ネタなんだろ?

裏切り者ウィトレット、最初ウェセックスの領主(ウィトレット・オブ・ウェセックス)って言ってたように思うのだが、後半ではロード・オブ・グラストンベリーって言ってた。グラストンベリーはウェセックスじゃなくてサマセットだよなぁ。

他細かいツッコミ。
あの時代にイゾルデが持ってるようなサイズの小さい本はまずない。しかもあの本のページが妙にモノトーン。豪華絢爛なアイルランドの写本はどしたの~~。最後のスタッフロールまで見ると、イゾルデが朗読する詩はジョン・ダン(16世紀の人)のものだとわかる(笑)

あの時代にフォークはまだない。

ラスト二本の柳が絡まって云々とでるが、「イゾルデがトリスタンを埋葬した場所」に生えてるらしい。墓に一人しかいないじゃん(^^;)
伝説によってバラとかいばらとか言う場合もあるが、「死んだ恋人二人の別々の墓から二本の植物が絡み合ってはなれない」から感動なんであって、一人の墓から植物が2本出てるのは別に普通だよな。

ほめるとこ。
イゾルデの衣装はロマン派、ラファエル前派風で美しい。特に婚礼への船に乗ってるシーンが絶品。
ジョン・コリアの「五月祭のグウィネヴィア」
ハーバード・ドレイパーの「ランスロットとグウィネヴィア」 あたりがイメージ元か。

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主人公は不死身!

モーホルトの毒の付いた剣で意識不明になったトリスタン。死んだと思った(あるいはすぐ死ぬと思った)仲間達は、船葬用の船にトリスタンを乗せ海に流す。涙ながらに丘の上から船に火矢を放つ仲間達。(※1)船に火が付き、炎の中横たわる青ざめたトリスタン…。

※1 船葬はバイキングの習慣。10世紀ごろのアラブ商人がノルウェーバイキングの葬式の様子を書き残している。

次のシーン。
どうしたことか、なんとアイルランドの海岸に流れ着く!!!
ちょっとまて! なんで船は沈みもせず、燃え尽きもしなかたんだ(笑)
途中で雨でも降ったのか? 
途中で意識が戻って、必死で消火&岸に向かって漕いだのか。想像すると大変笑えます。

一緒に海に流されたサイモン(こっちはちゃんと死亡)の船は、海岸に影も形もない。だからたぶん燃えて沈んだんだろうな。あわれ。
冒頭であっという間に退場してしまうキャラと主人公の落差が浮き彫りになった瞬間でした。

ちなみにコーンウォールからアイルランドの海岸まで、地図で見ると最短でも300kmくらいある。
現在コーンウォールとアイルランドをつなぐフェリー路線はないが(※2)、この映画の設定に一番近そうなフェリー路線、ウェールズのペンブロークPembrokeとアイルランドのRosslare間が約4時間でした。
Irish Ferries より

※2 現在コーンウォールからフェリーが出ないのは、遠浅で大型船が入れないからでしょう。

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中の人のこと

ハンドル:みん(おのうちみん)

アーサリアン(アーサー王伝説マニア)で中世騎士物語大好き。ただしどっちかというとトリ&イズ、ランス&グェンみたいな愛の世界より、騎士の冒険と友情が好みの腐女子。

ほったらかしのアーサー王サイト:アヴァロンの水辺
時々更新してる時事ネタ系ブログ

ジェンダーSF研究会会員
イベント「カフェ・サイファイティーク」準備中

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このブログについて

映画『トリスタンとイゾルデ』公式サイト.

公開中の映画「トリスタンとイゾルデ」、予告見たときは正直、やばそうだなぁと思っていました。ところがこれが予想以上に楽しめました!
ただし、おそらくは制作者の意図とは別のまったくところで…(笑)
ツッコミどころがありすぎて、これを一人で笑うのはもったいない! ぜひ突っ込みながら楽しんでこの作品を見てください。

※ブログの性質上、映画『トリスタンとイゾルデ』が熱烈大好きな人にはつらいかもしれません(^^;)

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