2006.11.03

5、6世紀頃のアイルランド

前回書くといったものの、実はこの頃のアイルランドってすごく資料が少ない!! まだ不明なことも多いです。

関連エントリー:5、6世紀頃のイングランド

なんで資料が少ないかというと、これまたローマとの関わりの問題。紀元前55年ごろから征服が始まって、西暦410年までどっぷりローマ化したイングランドは、ローマの役人、文筆家、後にキリスト教聖職者がせっせと自分達の記録を文字で残した。
しかしアイルランドはイングランドと違い、ついにローマに侵略されることも征服されることもなかった(※1)。

※1 ローマが軍を進めるチャンスはあった。西暦84年ローマの将軍アグリコラがスコットランドを平定しブリテン全土を手中に収めた。当時のローマ軍は世界最強だし、やろうと思えばアイルランドに侵攻することもできただろう。でも結局やらなかった。明確な理由はよくわからないが、ローマからすれば、地中海や大陸側と比べて農業地としての特性も低いし、辺境すぎて征服するメリットが少なかったのかもしれない。

おかげでアイルランドは、ヨーロッパ地域ではほとんど消えてしまったケルト系文化を長い間保持していた。しかしケルト人は自分達の文字を持たない口承で歴史や習慣を伝える部族だったため(※2)、キリスト教が入ってきて聖職者が記録をつけはじめるまで、同時代人による文字で書かれた記録がほとんどない! 
学者が調べるのも、お墓の碑文や埋葬品、遺跡や住居跡などが中心。他にはローマやギリシャの著作にかかれた、伝聞を元にしたとおぼしき情報になる。ローマやギリシャの著作には書き手の偏見(アイルランドなんて地の果ての野蛮人の国です)も多分に入っているので、情報の精度はさらにあやしくなるのでした…。

※2 念のため書いときますが、文字のあるなしと文明の高さはあまり関係ありません。文字を持たなくても高度な文明を築いた種族はある。南米のインカ帝国などもその例。さらにローマと接触したケルト人、その知識階層であるドルイド僧にはラテン語の読み書きができる人もいたらしいが、彼らがラテン語で何かを書き残したりはしなかった。口承で膨大な詩を暗唱できたドルイドにとっては、文字なんてのは物覚えの悪いローマ人が使うもの、という認識だったかも。

5世紀はじめ頃、アイルランドにもキリスト教が入ってきた。おもしろいことにアイルランドの布教では殉教者が一人も出ていない。布教者たちは、土地の信仰を排斥せず、むしろ取り込む形で布教を続け、受け入れられたようだ。アイルランドにやってきたキリスト教は、ローマを頂点にしたカトリックとは違う系列、むしろ東方教会に近い形のキリスト教だったという説もある。
現在残っているキリスト教以前のアイルランドの伝説や、その後の歴史の記述はこの聖職者達が写本に書き残したものです。

これらの記録や遺跡からわかるのは映画の時代、5、6世紀ごろのアイルランドは島中がなんと150前後の小国にわかれた戦国時代だったということです(※3)。
アイルランドの国土はだいたい北海道と同じくらい…。国によって大小はあっても一国、ずいぶん小さいです。
っていうか、もしかするとコーンウォールの方が大きいってこともありうるな(爆)

※3 ちなみに日本の場合、戦国時代の大名の数は270くらいで、徳川が天下を取った頃は140くらいだそうです。

イゾルデのパパ、ドナカーは「アイルランド王」ってなってますけど、実は「アイルランド(の中の国ひとつ)の王」で決して「アイルランド(全土)の王」ではありません〜〜。
この人がすごく極悪に描かれかますが、当時の状況を考えるに、所詮小物なんですよね(笑)
その後アイルランドの小国も婚姻や戦争などで統廃合(笑)を繰り返すが、12世紀(イングランドではヘンリ−2世のころ)になってもまだ群雄割拠の中小国が乱立していた…。

プログラムにドナカーのスペルが出てたので、ググって見ました。
Donnchadh は DUNCAN(ダンカン)から来た名前で、スコットランド、アイルランドなどゲール語の男性名。13世紀に
Donnchadh IV, Earl of Fife(ファイフの伯爵ドナカー4世)という人がスコットランドいますが、多分関係ないな(笑)
Donnchadh IV, Earl of Fife (ウィキペディア英語版)
結局ドナカーの元ネタは不明。特に思いつく人もいないなぁ。

6世紀ごろからアイルランド側からイングランド、ウェールズ、スコットランド方面への侵略、侵攻があったことは確かです。スコットランド王家の元になったダルリアダ王国はこの頃植民したアイルランド系住民の国です。
しかしこれって、ぶっちゃけやったことをやり返されたようなもので、以前にはイングランド、ウェールズ、スコットランド側からアイルランドに侵攻してました。さらに「5、6世紀頃のイングランド」に書いたように、イングランド、ウェールズ、スコットランドはローマに、その後は大陸からサクソン、ジュート、アングル人に侵攻されてました。イングランド、ウェールズ、スコットランドの三つの地域もぐちゃまらにお互い攻めたり攻められたり…。

さらに侵略した側は奴隷として人間をさらっていくが、これはアメリカの黒人奴隷制とは大きく違う。
古代社会に奴隷制は付きものだけど、このルールは非常に簡単。「敗者は勝者の奴隷なる」これにだけ! 言葉や信仰、ましてや肌の色なんかは関係ない。見た目が違えば他国で不利になることもあるだろけど、それを武器に成り上がることも可能だ。また負けても逃げた仲間たちが戦争を吹っかけて勝てば、今度は立場が逆転する。広き門とはいえないが、奴隷なっても才覚や運次第で盛り返すことも可能な制度だった。アイルランド側もイングランド側も両方やってたこと。8世紀になるとバイキングの襲撃が始まるが、彼らも当然のように奴隷にさらっていった。

この時代を描くにあたって、一番気になったのはイングランドとアイルランドという国同士の話にしてしまったことと、それにしてはアイルランドが悪役すぎること。
当時の領主やら王やらには、悪党もいればいい人もいただろう。しかしアイルランド側で名前のあるキャラ、ドナカーとモーホルトのどっちもを最低に嫌な奴にする必要はないと思う。イングランド側にはいろんなタイプの領主がいるのに。アイルランドの二人が二人とも悪役では、アイルランドでは100%悪役しかいないじゃん(^^;)
これでは印象操作といわれても仕方ないように思う。

制作者側はわかってやってるのか、無意識なのか、どっちにしても問題があると思うのです。

アイルランドはダブリンしか行ったことないけど、いいとこですよーー!!
お金と時間があればまた行きたい。今度は地方をまわりたいなぁ。

アイルランドのケルト的な部分とか全然かけなかったので、それはまたいずれ。

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2006.11.02

5、6世紀頃のイングランド

見た直後の感想でも書いたけど、この映画で「イングランド」と「アイルランド」の関係が気になった。
映画を見て、あれが史実だと思う人がいると困る(※1)ので、5〜6世紀のブリテン諸島の様子を映画と絡めて書いてみる。

※1 たぶん生きていく上での必須知識ではないから(笑)だれも困らないような気もするが、中世好きとしてのわたしが困る(^^;)

映画は「ローマ人が撤退した後」の時代が舞台。
ローマ軍が撤退したのは西暦410年。この頃にはローマ帝国自体の屋台骨がぼろぼろで、とても属州支配の余裕なんかなかったころ。ローマから見ると最果てってくらい辺境の属州だったブリタニアは、大陸のガリア方面、北のスコットランド、ノルウェー方面、西のアイルランド方面から、常に蛮族の侵入にさらされていた。ローマのにらみが利いていた頃はこれらもおとなしくしていたのだが、ローマ本国にごたごたが続くと好機到来と活動始めた。
つまりブリタニアの人たちは「自分の身は自分で守ってね」とローマからほっぽり出されたわけだ。
ブリタニアは辺境とはいえ、500年のローマ支配の間にケルト系とローマ系は混ざり合い、住民もローマ化し、キリスト教もある程度普及していた。 

はっきりとは書いてないが映画の時代はローマが去った後、七王国成立以前か成立直後ぐらいに思われる。だいたい6世紀中頃か。

七王国とはノーサンブリア、マーシア、イースト・アングリア、エセックス、ウェセックス、ケント、サセックスの七つ。当時大陸側から侵入してきたアングロ・サクソン系が築いた王国群です。


ソース:Anglo-Saxon Britain

地図でわかるようにコーンウォール(ドムノニア)はこの七王国に入っていない。
実はコーンウォールやウェールズなど、地図で緑色の部分はサクソン、アングル、ジュート族の侵入で辺境に追いやられた(要するに戦争に負けて土地を追われて落ち延びた)ブリトン人またはブルトン人が定住した土地なのだ(※2)。
つまりコーンウォールの人から見れば、ウェセックスやサセックス、ノーサンブリアのヨークの諸候なんかは、アイルランドと同じく敵の侵略者だったのだ。

※2 フランスのブルターニュ(ブリトン人の国の意味)も落ち延びたブリトン人の定住地。実際コーンウォールはアイルランドよりブルターニュの方が断然近い。

マーク王が諸候を集めてイングランド防衛を説くが、イングランドは元々アングル族の国の意味だから、本来イングランドというアイデンティティ成立以前のコーンウォールの領主が使う言葉ではないはず。七王国側の土地の領主にとっては、地理を見てもアイルランドからの侵略はほとんど関係ない。地図で緑の部分が緩衝剤になってるからだ。

コーンウォールの王がアングロ・サクソン系の領主達に助けを求めることはあったかもしれないが、当然彼らとて無償では動かない。報酬は土地か黄金か。ヘタしたら今いる土地まで全部とられちゃうかもしれない危険な戦略だ。
そもそもサクソン侵入のきっかけが、内部の対立に外国の勢力を呼び込んだことなのだから。

マーク王は「王」を名乗っているが、小国が乱立していた時代だから実際には他の諸候と比べて特に権力があるわけではない。

長くなったのでアイルランドの話は次のエントリーでやります。

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